HQ ATSUMU MIYA ✖️ SHOYO HINATA

 

months of the year

1

January

墨のにおいって、そういえば久しぶりに嗅いだ。

 その独特な香りに日向は記憶を揺さぶられる。最後に嗅いだのはいつだっただろう。小学校の時か――いや、中学で書き初めをやった時だったかもしれない。
 書道が好きだったかと問われればううんと首を傾げてしまう。正直に言えば苦手な部類だ。まずじっとしているのが苦手だし、そもそもあまり字は上手い方じゃない。それでも下手なりに見本に似せようとするものの、枠も罫線もない真っ白な和紙を前にすると手が止まってしまうのだ。挙句、筆を持ったまま、ああでも無いこうでも無いと迷っている内に、ぽたりと墨を垂らす始末。それを隠すように自棄っぱちで書くものだから、出来栄えはお察しの通りだ。
 そんな事を繰り返していたからだろう、真っさらな和紙を前にすると、汚してはいけないものをこれから汚さなければならないという気持ちにさせられるのだ。
「――なぁ、まだ?」
 それと同じ感覚を今、日向は味わっている。
 最初はただの思い付きだった。折角だから日本らしい正月をしようと、二人で袴を着て、お節を食べてと。腹が膨れた所で、ほんなら次はこれやろと侑が持ってきたのが兎の柄の羽子板だった。ご丁寧に墨と筆まで揃えて。
 勝負に乗ったのは、まぁ、単純に勝てる自信があったからだ。昔からスポーツは何でも学年で一番だったし、中学の頃の同級生にテニスを教えてもらった事もある。それに高校でバレー部のみんなと羽子板をやった時も、一番上手かった西谷といい勝負をしたのだ。
 練習がてら数回ラリーをすれば、すぐに感覚が掴めてくる。そして勝負が始まって一点目、ふわりと上がった羽根をジャンプして打ち下ろすと、色とりどりのそれは侑の板を弾いて地面に転がった。先制点は日向だ。そのまま続け様に点を取ったが、その後すぐ侑の反撃に遭い、点が並ぶ。聞けば、昔から正月の集まりで治と勝負するのが恒例だったという。なるほど、向こうも自信があった訳だ。
 強打と軟打を上手く使い分けて揺さぶりをかけてくる侑と、フットワークを活かした鉄壁の守備を誇る日向の勝負は、ギリギリの所で日向に軍配が上がった。
 しかし――日向にとっての勝負はむしろその後の方だったのかもしれない。
「どうせならおもろいの頼むわ」
「ちょっと…ハードル上げないで下さいよ」
 筆を持つ手が震える。お座りする犬のように、少し顔を突き出して正座する侑は、負けた癖にどこか楽しそうだ。ゆるりと弧を描く軽薄そうな唇、すっと通った鼻筋、勝気な瞳は今は瞼の向こう側に隠れている。ああ、睫毛がこんなに長かったんだ。
 見れば見るほど、その顔はまるで真っさらな和紙のように思えてくる。きれいで、きれい過ぎて、無表情でいられると怖いとすら感じてしまう。墨で汚すなんて以ての外だ。せめて目が開いていれば違ったかもしれないのに。だって、こんなの、毎日飽きる程見ているはずの顔なのに。
 悩みに悩んだ末、筆先を付けたのは右の頬。冷た、と侑が笑った所為で勝手に筆が進み、もうどうにでもなれとそのまま真っ直ぐ顎の方まで線を引く。返す手でもう一本直線を描けば、なんのおもろしみもないバツ印の完成だ。
「めっちゃフツーやん!」
 すかさずスマホのインカメラでそれを確認した侑から野次が飛ぶ。すいませんね、期待に添えず。そう言おうとして、やっぱりやめた。
 だって言葉の割に嬉しそうだから。スマホを覗き込む眼はどこまでも甘く、緩んだ口元が柔らかな弧を描いている。きっと、尻尾があったらパタパタと揺れていたことだろう。
 ――翔陽くんがくれるもんは何でも嬉しい。
 かつて侑が言った言葉が脳裏を過る。その言葉通り、侑は日向が差し出したもの全てを喜んで受け取ってくれた。地球の裏側から出した葉書も、センスの悪いお土産も、ただのコンビニスイーツも。失敗した手料理、下手くそなキス、そして柔らかくもないこの身体だって。
 形のあるもの、ないもの。残るもの、残らないもの。ぜんぶ、ぜんぶ。
 だからきっと、このバツ印もそういうことなのだろう。
「じゃあ次はマルにしよっかな」
「なーに勝った気でおんねん」
 見つめ合った先でパチリと火花が散る。示し合わせたように腰を上げ、互いに羽子板を手に取った。
 
「俺の勝ち〜」
「くっそ悔しい!」
 五本勝負の第五戦、勝てば日向の勝利、負ければ同点という一戦を制したのは日向だった。機嫌良く縁側に上がっていく日向の軽やかな足音の後ろから、侑ののろのろとした足音が追いかけて来る。
「やっぱり土の上じゃ翔陽くんに敵わんなぁ」
「床の上でも負けませんけどね!」
「言うやん。今度勝負な」
「いいですよ?罰ゲーム何してもらおっかな」
「おいコラ」
 そんな軽口を叩き合いながらどさりと畳に腰を下ろすと、すかさず侑が膝の上に寝転んできた。あー疲れた、なんてぼやきながら。慣れない服装に慣れない足元。普段と比べればそんなに動いていないが、確かに疲労度が違う。しっとりと汗をかいた額に張り付いた金色の髪をといてやりながら、筆を手に取った。
 さて、次はどこに描いてやろうか。
 最初の一筆はあれほど躊躇していたのに、一度筆を入れてしまえばもうそんな事はなくて。というのも二戦目で負けた時に、あまりにも侑が躊躇なくバツ印を描き返してきたから、それで日向の悪戯心と負けん気に火がついたのだ。
 既に両頬はバツとマル印で埋まっているので、おでこか目の周りか――ぺろりと舌舐めずりをしながら考えていると、不意に侑の手が頬に伸びてきた。
「楽しいなぁ、翔陽くん」
 くしゃりと笑うその顔は、無邪気そのもの。幼ささえ感じさせるそれは、時折バレーで見せる、ただただ楽しくて仕方ない時と同じだ。
 かわいいなぁ。なんて、言ったら怒るかな。
 見下ろす視線に何かを感じたのか、侑の眦にうっすらと朱色が差した。頬を覆う手がゆっくりと後頭部に回り、優しく力が込められていく。導かれるままに身を屈め、至近距離で侑の顔を見下ろす。
 柔らかく差し込む冬の日差しが彫りの深い顔立ちに陰影を作り、睫毛の影を頬に落としていた。逆さまから見ても、悔しいほど綺麗な顔立ち。けれどもう、怖くもなんともない。
 侑の顔に日向が作り出した影が広がっていく。全てが覆われたと同時に目を閉じて、そして唇に柔らかい感触。ほんの一秒、音もなく重なったそれは離れる時もやはり静かで、どこか遠く、初詣帰りの家族連れの長閑な声が聞こえた。
「今年もいっぱい楽しい事しましょうね」
 その“楽しい事”には勿論バレーも含まれていて。そんな事は分かっているとでもいうように「はよ練習したいなぁ」と侑が笑う。
 頬の形に合わせて歪んだバツ印は、どこか誇らしげに見えた。

兎も辰も、その先も

 written by @ssm_ssmssm 333さま

あとがきと感想
真白な世界に翔陽の描く線は、軽やかだったり、波を打ったり、時には静寂に包まれるように立ち止まる、そしてまた走る。自由な自分に対し、自己の与える影響には怯える。「真っ白な和紙を黒で汚す」と「真っ白な和紙を黒で染める」は方法が同じで捉え方の違いだが、繊細な翔陽はまず前者を選択する。彼の心は時折繊細に思う。__悩んだ末に描いたバツ印を、インカメラで確認した後に野次を飛ばしながらも楽しく笑う侑。明るく、太陽のイメージが強い翔陽だが、実は翔陽にとっての侑の方が陰を作らせないように照らしてくれる暖かい太陽のように感じます。__小説の中での翔陽は悩み立ち止まる、けど侑よって線が走る。「汚す」から「染める」の後者に変わったのだと思いました。「楽しいなぁ、翔陽くん」無邪気に笑う愛しい人についたその色を、微笑ましく感じる翔陽の恋している姿が可愛くて、私は改めてこのカップルが好きだ。この作品が好きだなぁと思いました。

333さま素敵な作品をありがとうございました。
illustrations  by 添

2
February

    初めての恋と恋人がうれしくて、幸せだったから。
 恋人がかっこよすぎて、ましてやかわいくて困る日が来るなんて、思いもしなかったんだ。

 その特別な日の、待ち合わせ場所。
 普段は立ち入ることのない、ホテルの静かなロビーに入ったところで、日向は立ち止まった。咄嗟に誰かの邪魔になってはいけないと位置を変えたものの、視線は一ヶ所に釘付けになっている。
 明るい色味の瞳が映すのは、ロビーの奥、二人がけのソファにゆったりと腰かけた侑の姿だった。
 特別な格好をしているわけではない。パーカーに、見かけたことのある上着。上着と同系色のキャップを目深にかぶり、こちらも見かけたことのある丸いサングラス。おなじみの黒いマスクとて、市販品だ。
 けれど、長い足をもてあますように組み、伏し目がちに手元を見やる横顔は、顔がほとんど見えないにも関わらず『イイ男』の空気をこれでもかと醸し出していて。
 実際、まるで色がついているかのように、侑の周囲の空気がかすかに沸き立っているのが──日向が斜め後ろから見ているがゆえに──感じ取れる。
 しかも、意を決したように侑のもとへ歩み寄る影まで見えて、日向はため息をついた。

「……翔陽くん」
「なんですか」
「妬いたん?」
「妬いてませんよ」
「ほぉん」
 その割に…とかなんとか言い出した侑の脇腹に肘を繰り出す。
「あだぁ!」
 大袈裟に痛がろうとした侑が、目的階より手前で止まったエレベーターに気づき、黙り込んだ。ビュッフェの利用者か、外国人客が乗り込んできて、二人に背を向ける。その後ろで視線を交わし、マスクの下で唇を尖らせていそうな侑に、日向はにっこり笑ってみせる。
『覚えとけや』
 そう言っていそうな侑の瞳は剣呑だ。けれど、首を傾けるしぐさはどこか幼く見え、帽子におさえられた金の前髪がいつもより下りているのも相まって、有り体に言えば、可愛い。
 気分がすっかり良くなり、マスクの下でこっそり笑っていれば、お返しとばかりに肘でつつかれ、──そのままその腕が腰に回されたから、日向はぎょっとする。
 慌てて見上げれば、侑が器用にウインクしてみせた。今度はまた、悔しいほどに格好よい。ではなくて。
 途端、背後の喧しい空気を察したか、三人目の乗客がちらりと後ろを振り向いた。侑にがっちり腰を抱かれたまま、その外国人客と真っ向から視線が合ってしまった日向は、思わず固まってしまう。
 ただし侑はといえば、彼にも悪びれもせず笑み、ウインクしてみせていて。堂々としたその様子に、相手もにっこり微笑んで前に向き直る。そうして、すぐに軽やかな音とともに扉が開き、また閉じた。
「……何考えてんですか」
「翔陽くんがいけずやから」
「……もう」
 あつむさんのバカ、呟きながらも隣の肩に頭を預けた時点で、自分に勝つ気がないことを日向は分かっていた。

 このホテルの最上階に位置するレストランにはドレスコードがない。気軽な服装で、けれど上質な食事を楽しめる場として静かに賑わっていると聞きつけたのは侑だった。
 リーグの後半戦、しかもひとつひとつの勝敗が総合順位に響くシーズン終盤真っ最中。それでも二人はほぼ迷いなく、侑が部屋を取り、日向が夕食を予約した。
 今夜も、昨夜と同じく、二人抱き合って眠るだけだ。それでもこの日を特別なものとしたくて、いまここにいるから。

 かちゃり、オートロックが閉まった音とともに、一度放されていた腰に再び手が回されて、日向は振り返る。見上げた先の侑は目を細め、先ほどとはまた違う──自分にしか見せないものなのだと今の日向は知っている──笑みで日向を見つめるから、思わず腕を伸ばしてしまう。
「やっと二人きりやな」
「…ですね」
 肩に回した手に届く温もり、腰を引き寄せる手に与えられる温もりに、変わらず心臓は高まって、日向も自然、微笑んだ。
「……あのね侑さん」
「おん」
「……妬くに決まってるでしょ」
 俺だって、妬くんだから。知ってるでしょ。
 笑顔だったはずが、いつの間にか唇が尖っている気がして。必要以上に恨みがましくなってないか、日向が心配になったところで、熱くなった耳にそっと触れられる。
「……今すぐキスしたい」
「……俺もです」
「でもなぁ」
「ですねぇ」
 二人して笑う。二人して、馬鹿みたいにバレーが一番なのは変わらないから。
「しゃあない、まずは手洗いうがい消毒しよかぁ」
「あ、待って、あつむさん」
「ん」
 コートのポケットから、大切に持ってきた包みを取り出して、日向はそれを侑の目の前に掲げた。侑が子供のように破顔して──その笑顔はやっぱり可愛いと日向は思う──、同じくポケットからラッピングされた箱を取り出す。
「……ハッピーバレンタイン」
 二人して、バレーと同じくらい大事な恋人に、今日という特別な日に、愛を贈るのだ。

 初めての恋と恋人に、ただでさえ浮かれていたけれど。
『お待たせしてごめんなさい。…何かご用ですか?』
『今日は久しぶりにふたりだけで食事に来たんです…せっかくですけどお断りさせてくださいね』
『妬いてませんよ』
『……妬くに決まってるでしょ』
 声をかけてきた相手をスマートにあしらう背中がかっこよすぎて、ましてや妬いてくれる表情がかわいくて困る日が来るなんて。
 ホンマ幸せすぎて、どうにかなりそうや。


ハッピーバレンタイン
written by @izumi_kasa0320  和泉さま

あとがきと感想
バレンタインをホテルで過ごす2人はもうすでに大人だ。と思いますが「初めての恋」にギャップを感じてなんだか初々しいです。先にロビーのソファに腰掛ける侑ですが、いつから座っていたのかな。15分前には待ち合わせに着いて内心ソワソワしていたかもしれませんね。ラフな格好の侑に対し、翔陽は少し背伸びしてウールのコートを羽織りおしゃれをしています。__「妬いたん?」「妬いてませんよ」待ち合わせて無事に会えた後、エレベーターでの侑と翔陽の会話が愛おしいです。待ち合わせにて侑に声を掛けてきた相手に対し、正直な言葉で断りを入れているところが男らしくスマートでとても魅力的な翔陽でした。__シーズン中、でも大切な日。この先それぞれ目指す場所によって同じ時間を共有できないからこそ、今一緒に過ごせるこの時間を大事にしてるんですね。まぁでもホテルの部屋で2人きり、ベッドで抱き合って眠るだけなんて逆にそれはスケベだと思います。

和泉さま素敵な作品をありがとうございました。
illustrations  by 添

3

March

『十五分遅れる、ごめん』

 通知音が鳴ったスマートフォンを取り出すと、手の中のそれにはそう表示されていて、いつも五分前行動の彼女にしては珍しいことだと首を傾げた。十五分というのがまた微妙な時間で、どこかで時間を潰すのには足りない。諦めて音楽でも聴きながら待とうかと、再びスマートフォンに視線を落とし、画面をスクロールしていく。
 その時、ふと匂った香りに思わず顔を上げた。ゲランの、ロムイデアルの香りだと、すぐに分かった。香りの主は私の横に立ち、壁に背中を預ける。この香水は好きだった。そして、こんなにこの香水が似合う男性にも出会ったことはなかった。
 派手な金髪と、黒いタートルネックのコントラストがよく映えて、縁の太いフレームと薄いグレーレンズの眼鏡は、けれどその整った顔立ちを隠すことはなく、周囲より頭ひとつ飛び抜けた長身がその出立ちをより一層際立たせている。


 香水のノートに、こう書いてあったことを思い出す。「理想の男性」
「え?」
「あ。すみません」
「いえ」
 自らが声に出してしまっていたことに驚いて、慌ててその人から視線を外した。微かに自らの耳が熱くなるのを感じる。変な風に思われていないか、と、要らぬ心配をしてしまう。
「翔陽くん?」
 金髪の男性は、スマートフォンを耳に当て、優しく問いかけるようにそう言った。ショウヨウくん。その声色は、家族にも、友人にも向けるものとは違う気がする。左手の薬指に、ちらりと銀色に光るプラチナが見える。
「焦らんといて、ええよ。ゆっくりし。どの辺におるん?」
 そう言いながら壁にもたれかかっていた体を起こして、歩き出す。彼が持っている小さなショッパーから覗くのは、ラルチザンの香水の箱だった。恋人へのプレゼントだと、そう思った。そしたら、ショウヨウくんというのは、もしかして。
 さっきも熱くなった耳が、またほんのりと熱を持ち始めるのが分かった。こんなにも人の目を惹く男性が、特別に想う相手を想像すると、胸が高鳴る気がした。
「え?花屋?なんて?」
 レンズの奥の視線があたりを見回し、けれど目当てのものが見つからなかったのか困ったように目を細める。ここは駅の南口で、一番近い花屋は確か東口だった気がする。そんなに遠くないけれど、慣れていないと確かに分からないかもしれない。
 どうしよう、教えた方が良いのだろうかと、そんな思いを巡らせていた矢先に、視界の端をすごい勢いで駆け抜ける人の姿があった。片手に持ってる黄色の花束。あれは、ミモザの花。
「侑さんっ!」
 その瞬間、スマートフォンを耳から外し、細めていたまなじりをとろりと下げ、アツムさんは自分よりひとまわり小さな体を引き寄せた。
「ちょ、こんなとこで、」
「会いたかったわ、翔陽くん」
 ロムイデアルの香りが一際強く香ったその瞬間は、私の気のせいなのだろうか。ショウヨウくんの左薬指の根元がちらりと光り、ミモザの花びらが引き寄せられた勢いで微かに散った。私は目の前で起きている、まるでドラマのような出来事を、固唾を飲んで見守っている。
「遅れてごめんなさい、ちょうど通りかかった花屋に綺麗な花があって…」
「ええよ。それより、食事連れてってくれんのやろ?」
 愛し合っている二人は、美しい。心を許した相手にしか見せない表情を、私は傍観者として見ることを突如 許されている。それは不思議と、心温まる光景。
「はい!先月はすげー良いとこ連れてってくれたんで、俺も頑張ってみました!」
 楽しみやなあ、とアツムさんはショウヨウくんの空いている手に自らの指先をそっと絡め、二人はゆっくりと歩き出す、その背中をぼんやりと見ていた。ずっとずっと、眺めていられる気がしていた。

「ねえ」
 ぽん、と優しく肩を叩かれて、私はびくりと体を揺らす。「なんか、絵に描いたような二人だったね」
「見てたなら、声かけてよ」
「ごめん。だって、なんか幸せそうな顔してたから」彼女は笑って、そして片手に持っている花束を私に差し出した。「ホワイトデー」
 ミモザの花だ。遅れてごめん、と少し困ったように微笑む彼女の、この表情が私は好きだ。
「あんなドラマみたいには、なれないけど」
 その彼女の言葉に、私は思わず笑ってしまう。ドラマティックである必要なんか無いのだ。ロムイデアルの香りなんてしない、柔軟剤の優しい香りがするこの人のことが、私は好きなのだから。
「ありがとう。嬉しい」
「ね、ミモザの花言葉、知ってる?」
 楽しそうに私の顔を覗き込む、彼女の細い指に自らの指を絡めながら、私たちも並んで歩く。
 優しい黄色の花びらを、穏やかに振り撒きながら。


その花束をあなたに
 written by @yomog10  ヨモギさま

あとがきと感想
とてもいい香りがします。ここにあるのは文字ですが、お話を読んでいると情景が浮かびきっと香りを感じる方もいらっしゃると思います。__『十五分遅れる、ごめん』語り手の彼女から届いた通知音から始まるお話。彼女が待ち合わせに来るまでの15分間の侑と翔陽のお話なんですね。その15分間の2人の空気を共有できるように感じます。__通りかかった花屋で見かけたミモザ。翔陽はなぜ立ち止まったのでしょう。黄色のポンポンをつけた綺麗なお花に侑を思い浮かべて思わず買ってしまったのかも。語り手の彼女と同じように翔陽も少し困ったように微笑んだのかな。__体温に反応し強く香る香水。侑が翔陽と出会えた時とても愛おしくて体温が上がったのかと思います。もし「ーーートスを上げるで」の時香水をつけていたなら、それはとても強く香ったのだろう。

ヨモギさま素敵な作品をありがとうございました。
illustrations  by 添

4

April

 手に入れたら、使う出番はきっと多いはず──そう考えて即決気味に買ったデジカメを、ラックの奥の奥から久しぶりに発掘した。
 可愛げのある値段なのに、多機能でフィルターも多くて、少しどっしりしたサイズ感やから男の手に収まると格好がつく。持て余した機能もいくつかあったが、手の中にある存在感に概ね満足。手に入れてから一か月くらいは、良く出先に連れて行っていた。
 いじって遊んで画像を何枚かメモリーカードに入れた後、レンズに蓋をされたまま、カメラはじわじわと家主の帰りを待つ存在になっていった。俺が飽き性やからってことではない。簡単に言えば、その存在のさらに上を行くスマートフォンのカメラ機能の手軽さのほうが、どうも強かっただけで。
 このカメラを見つけたのは、無情な持ち主ではなく翔陽くんやった。
 息を吹きかけて埃を落とし、切れた充電パックに電気を送り込み、メモリーカードを確認して、レンズキャップをとる。新しいおもちゃを手にした子どものような目が、覗き込む黒い曲線の中に映っていた。
 今日は良く晴れた休日で、やっと薄ら寒さがなくなってきた春先で。冷蔵庫の中には夕飯を作れるほどの食材はなくて、俺達は時間と体力を余らせていて──どちらともなく出かける支度を始めた。
 外出のメインが近所のスーパーくらいでは勿体ない。そう思わせるほどの快晴だった。
 玄関を開けると、網戸にしていたベランダまで、暖かさを含んだ風が通り抜けて翔陽くんの毛先を揺らす。思い付いて、ひとつ、行き先を追加すると彼が笑顔になって大きく頷いた。
 トートの中には、エコバッグとスマートフォンと財布。それから、珍しくカメラを入れて。

 建物の影を歩くとひんやりとしていて、厚めのシャツを着てきたことを正解だったと思う。でも陽が当たる道に出ると、太陽光の温かさが服に染み込んで身体を温めていく。隣では薄手のパーカーだけの翔陽くんが、腕を振りながらにこにこ歩いとる。良い春やなぁ。
 スーパーは最終目的地。追加した寄り道は、離れた川沿いの道。人の多くない平日昼間の通りを、時間を忘れて、できるだけゆっくり歩いていく。まずはコーヒーチェーン店で小腹を満たすことに決めた。
 誰もいないテラス席について、昨日の試合の話と、どうでも良い話を交互にする。垣根の土に顔を出す、つくしの雌雄がどっちだったかとか、そんな、答えがわからないままの会話なんかをして。
 すっかり落ち着いてしまった腰をあげて、民家の連なる街並みを抜けて行く。川沿いの道へ出るまでに、人の家の庭で咲き始めている小ぶりな桜を眺めたり、何の蕾なのかわからない花を指差したりしているもんやから、もうとっくに時間の感覚など忘れた。二人揃えば道草の達人になってしまう。
 道なりに進んで見えてきたT字路には、川を挟んだように桜並木が広がっている。少しだけ俺らの歩幅が広くなった。
 等間隔に並んで続く桜は、満開の少し手前くらいか。午後の青い空に桜色のコントラストがぱきっとしている。自然の美しさとか良くわからん俺でも、「すごいなぁ、きれいやな」と無意識にこぼした。そしてカメラを取り出して、レンズキャップを外す。
「こっちの桜はやっぱ早いなー!」
 何度も何度も見てきた、上を向く翔陽くんの瞳の中は、今日は薄い桃色をしていた。
 風が強く吹いても、桜の木がざわめくような音はしない。川の水音と、遠くの街並みのざわめきに消されて、静かな中に花びらがただ揺れながら落ちてくる。連写して収めた一瞬一瞬の中に、翔陽くんを閉じ込める。
 鼻に貼りついた桜をつまんで、こっちに笑いかける──穏やかな春の陽射しまでも切り取るように。
「な。また来年も見に来よ」
 そして、また彼との思い出を溜めて、集めていくのだ。彼の桜色の瞳を独り占めすることが、またできれば。

 ──翔陽くんに発見されて一通りいじくられたカメラやけど、入れっぱなしにしとったメモリーカードの中身までは、じっくり見られなかったらしい。
 何年か前に撮っていた写真の中では、一番古いもの。カードの中に収まっている一番目の写真。そのうち見せてあげよかなぁ、とか考えて、ついつい口角が上がる。
 大舞台に立った最後のあの日。まだ焼けていない肌の、5番を背負って飛ぶ自分自身の姿を見つけたら、どんな反応するんやろ。


Spring will come again.

 written by @honeyuulucy 蜂蜜さま

あとがきと感想
春が好きです。街がピンク色に染まるこの美しい季節が私は好きです。出会いの季節でもあり同時に別れの季節でもあります。「また来年も見に来よ」翔陽に伝えた一言ですがなんだか少し祈りのように感じました。__春を想うと色々な情景がふと浮かびますが、この作品の中の侑と翔陽もきっと春を想うと側にいた「きみ」のことを考えるのだと思います。桜の花びらのように薄く頬を染め可愛く微笑む愛しい姿を、帽子の上に花びらが落ちているのに気づかずシャッターを押すことに夢中な姿を、そしてあの日飛んだ烏へ恋焦がれるような胸のざわめきを、2人は心のシャッターに閉じ込めたのです。___蜂蜜さんの書く文章はandanteのように少し軽やかでいて切なくて心が落ち着くようなテンポのイメージがあります。軽やかさは文の選び方かなぁ。【__エコバッグとスマートフォンと財布。それから、珍しくカメラを入れて。】【____そんな、答えがわからないままの会話なんかをして】うーん大変気持ちがいいです。

蜂蜜さま素敵な作品をありがとうございました。
illustrations  by 添

5

May

ガキは好かん。そらな?俺かて産まれたての赤ん坊は可愛えと思うし、俺と結婚したいとか言うてくる可愛え女の子は別やけど。男子。あれはアカン。あいつら何であんなパンチとかキックしてくんねん。地味に痛いねん。俺の身体は日本の宝やで。丁重に扱わんかい。
 そんでも、バレー教室は結構好きや。俺がセッターになろう思ったキッカケの場所やし。セッターのかっこよさを気づかせてくれたおっちゃんに俺もなりたいやん。ほんで俺に憧れてる子をバレーに引き摺り込むねん。まぁ俺はイケメン兄ちゃんやけど。
 せやから今日も結構楽しみにしててん。こどもの日に合わせたMSBY子供バレー教室。一緒にバレーして、折り紙の兜被ってサイン会もすんねんて。まぁ、興行のひとつやな。
 入団の時にそういうんがオフシーズンに結構あるって知らされて正直最初は邪魔くさいな思ってたんやけど、やってみて分かった。俺こういうん結構好きや。そもそも俺体育祭も文化祭も新入生歓迎会も肩ぶん回してたわ。でも張り切りすぎてスベり散らかす癖もちょっとは減ってんで。早めに起きたんも別に張り切ってる訳とちゃう。愛おしい恋人に朝ごはん作るためやから!

「おはよーございます侑さん。」
「翔陽くんおはようさん。朝飯出来てるで。」
「あざっす!美味そー。」
 今朝のメニューは卵かけご飯、鮭、豆腐の味噌汁。俺は朝食パン派なんやけど翔陽くんは米派やねん。代わりに翔陽くんが担当の時はパンになんねん。ええやろ?
「なんか侑さん張り切ってますね!」
 いや、言うたそばから。何も言わへんけど。
「俺もめちゃくちゃ楽しみにしてました。ファンと交流するだけじゃなくて子供にバレー教えられるってあんまり無い事だし。」
 素直になるってええなと翔陽君と一緒におったら分からされる。何や嬉しなって「せやな!」って笑顔で返してもうた。アカンアカン、またスベッてまう。

 挨拶が終わって、今日のつかみは上々や。翔陽くんも良かったです言うてくれたし。(翔陽くんがゲラやって事には気づいとる。)気分良えままスパイク練習や。整列しとる子供達にぽんぽんと打ちやすくて決めやすいトスをあげてまずは一巡。
「なんやめっちゃ打ちやすいな!」

「すごいな!」
 近くでそういう声も聞こえてくる。ぽんぽんぽん。子供達に打たせたるトスを出しよるうちにだんだん命中率が良うなってるのが分かるもんやな。こんな短い時間でも子供は成長しよる。「ナイスキーや。」って一人一人に言っとる自分もおるしあのおっちゃんの様になれた事が嬉しい反面、やっぱりこの歳の子等の伸びしろ羨ましいと思うわ。ほんでそう思いよるうちは俺は現役なんやろうなと思う。俺はまだまだおっちゃんにはなられへん。
「おっちゃん、ありがとう。めっちゃ打ちやすい!」

「かまへん、かまへんって誰がおっちゃんや!宮さんやろ!」
 おっちゃんにはまだ早いんじゃ。ほんっまガキっちゅーやつは。

 次は兜かぶってフリータイムや。ほな後一息ファンサービス頑張りますか!まぁ俺は子供人気もありますよって。もちろん綺麗なお姉さん枠でもあんねんけど。そう思うてた矢先に目の前に現れた子供を見てギョッとする。
「君、どないしてん?!大号泣やないか。」
「宮選手があこがれなんよね。」
 さっき俺をおっちゃん呼びした子がそう言って、こん子に連れられて来た子はそう言われてこくんと首を縦に振った
「君は見る目があるなぁ。」言うて頭撫でたったらもっとしくしく泣き出してそんでも「サインください。」って必死に声捻り出して言いよった。なんや、可愛えやん。
「日向選手!」
「おう!」
 さっきの子ぉは翔陽くんのファンなんや。なんや、君も見る目あるやないか。
「俺な、セッターなんねん!」
  いや、なんでやねん!スパイク打ちたいんちゃうんかい。
「ほんでな、いつか日向選手にトスあげたるからな!」
「え!めっちゃわくわくするなそれ!」
 なんやて!?俺を差し置いて俺みたいなこと言いよるな、こん子。
「おん!だから俺が大人になるまで待っててな?他の大人の選手みたいに、いんたいしたらアカンで?」
「おう、約束!待ってるからな!」
 えー、約束ずるない?俺は初めての春高の時返事もらってないねんけど!
「侑さん?」
 俺の視線に気づいた翔陽くんに不思議そうに見られて我にかえる。とりあえず今はファンサせなな。ささっとボールにサインして渡したる。それにしても涙枯れへんなぁ、君。
「きみはいつまで泣いてんねん。涙拭き。」
 思わず親指の腹で涙拭う。子供の肌は信じられんくらい柔こくて守らなあかんって気持ちが否が応でも湧いてくる。
「俺に会えて嬉しいんやな。でもいつまでも憧れてたらあかん。強くなる為に俺は絶対お前を倒すって思うとらな。君は強くなるんや。」
 そう言ったったら、ぎゅって自分の腕で涙拭いてやっと笑顔になった。

 今日も一日終えて一息つく。ソファに座って並んで甘いコーヒー飲むんが好きやなと思う。
「今日楽しかったですね。侑さん。」
「せやなぁ。ガキンチョの世話は疲れるけどな。」
「それにしても…ふふ、わは!侑さん、影響受けすぎ。」
「あ、聞いてたな翔陽くん!ちゃうねんて!俺も思ってたことをあの野球選手が言いよっただけやから!」
「でも本当その通りですよね。俺も憧れて待ってるだけじゃ嫌だから。世界に俺を跳ばしてくれる人がいるなら、今よりも跳べる環境があるなら行かない理由がないです。だから恋人としてそれを許してくれたこと感謝してます。」
 翔陽くんは来シーズンからまた地球の裏側に行ってまう。ブラジルでバレーやるんや。
「許すも何も許可なんかいらんやろ。翔陽くんがバレーに生きとる姿が俺は好きなんや。それを邪魔する奴は誰やろうと何やろうと許さん。それが恋人の特権やん。」

 そう、これは俺の特権や。一緒に居れんくても恋人やったらいつか逢える。約束もいらへんし。泣いてるん知ったらどこへでも駆けつけて涙拭いてやれる。翔陽くんの大切なものを一緒に守れんねん。
 でも、うちのスパイカーの特等席は予約制やない。今日のガキンチョはライバルや。俺かてその場所を憧れだけで終わらせるつもりは1ミリも無いねん
 全部説明するんはなんや恥ずいから、返事の代わりにキスしたった。まだまだ素直にはなりきれへん。これは俺の伸びしろや。


特等席

 written by @mainichi_ponpok  うっすさま

あとがきと感想
「ガキは好かん。」確かに。子供の力って結構強いですよね。自分の事を丁重に扱わんかいと思いつつ、侑に憧れている泣き虫の男の子の頬に流れる涙を拭った時、丁重に優しく接するのが彼の本質かなと感じました。バレーボール教室がきっかけでセッターに憧れたあの日の自分と重ねるように、この日の企画をずっと楽しみにしていたんでしょう。__パン派の侑・米派の翔陽。お互いの担当日に、互いの好きなものを作ってあげる朝がある。好きな人の好みを作ってあげようという愛情、それは愛おしい行為すぎませんか。来シーズンから2人が離れ離れになった時、その時お互いの朝ごはんはどうなるのかな。今日は何を食べたんだろうか、朝は食べる時間があったのだろうか。寝坊してないか心配だ、そう翔陽を思ってお米を食べる・そう侑を思ってパンを食べる。いい朝だ。__離れてもこの2人の特等席は決まっていて、最後の最期まで2人は一緒なのが私の中で決まっているので空席になることがないんですよね。残念、ガキンチョ!と私は思います。

うっすさま素敵な作品をありがとうございました。
illustrations  by 添

6
Jun

花が降る。幸運とは意図せず訪れるものというのを体現するように、ころっと転がり込んできたそれは目の前一帯を白にした。

チームメイトの結婚式は彼の性格そのままに和気藹々と進み、空は梅雨にも負けず晴れ渡ったスカイブルー。外はもう暑いな、とシャツの襟元に指を差し込むと、頭上でひょこりとすすき色が揺れる。「あっついな」ぱたぱたと手で扇ぐ彼に倣い、「ですねぇ」と笑みを一つ。寄せられた体のお陰で影が出来て少しだけ暑さが和らいだ。
ずるいな、本当。むずつく口角を抑えながらスマホを翳す。こういうところが心底ずるいのだ、この人は。
レンズの先では真っ白なブーケを手にした新婦が友人たちへと花笑みを振りまいている。ブーケトスに合わせ半円に広がった人の輪は色とりどりで、見ているだけでも微笑ましい。
「いいですね」
だから、出た言葉はシンプルな感想だった。門出を祝うあたたかな声に、真昼の空気を目一杯詰め込んだような二人の笑顔。式場の庭園に広がる空気につられて自分まで幸福感に包まれる。自然と隣の影に身を寄せれば、ふ、と視線を感じたような気がした。
……? 侑さ、」
けれど、名前を呼ぶ前に司会の号令がかかる。ブーケトスの時間だ。慌ててスマホの画角を合わす俺の目の前で新婦を囲んだ女性の輪がわっと開いて手を伸ばす。
「せーの、」
放たれた声、空に上がるブーケ。思いの外きれいな放物線を描いたそれが緩やかに歓声の中へと落ちていく。時間にして数秒。瞬きの間に降ってきたそれは、女性の指に触れるとトン、と軌道を変更した。
「え、」
何人かの目が丸くなる。ぱちり、一瞬の間。思わずスマホで追いかければ画面いっぱいの白。音もなく転がり込んできたそれは甘やかな香りを残すと、さも我が家とばかりに侑さんの手の中に収まった。とさっ。みんなの視線が一堂に大きな手のひらへと集結する。漫画みたいだと思った。あるいはドラマ。だって、こんな偶然中々ない。
丸っこい沈黙の中、さわりと青い風が吹く。

「おわ、」

沈黙を打ち破ったのは侑さんの声だった。呆気にとられたような声に周囲からも、ふふっとこらえるような笑いがついて出る。くくっ、ふふっ、ハハッ。やがて笑いはさざなみとなって、気付けば──。
「っふふ、帰りに宝くじでも買ってみます?」
「~~~っ、面白がりよって自分」
「はは、だって、」
だって、あまりにも。あまりにも当たり前のように花が収まるから。珍しく眉をへの字に困り顔を浮かべた侑さんが日を透かすようにブーケを持ち上げる。白とグリーンと萌ゆるような若緑。わずかにそこから落ちた影が侑さんの鼻先で泳ぐ。
「うぇーい!ツムツムやったねー!」
「次は侑か~?」
ヒューヒュー! 緩やかに囃し立てる周りに辟易しつつも「やかましいわ!」と笑い飛ばす姿がなんだかとても眩しくて。賑やかさを取り戻した庭先に笑みが出る。いい表情だなぁ。思わずたなびく金髪にスマホを向ければ、かちん、とどこかで音がした。
1200万画素越し、その小さくて大きなフレーム内で視線が合う。
「え、」
漏らした言葉、その先が零れる前に花束の影が手を伸ばす。タイルで踊る影。爪先が少し暗くなったと思ったら、いつの間にかふたつの影がひとつになっていた。
「翔陽くん」
慣れた声が呼ぶ。差し出された白に息を詰まらせれば、追いかけるように距離も詰められた。はく、と間抜けな金魚みたいに固まる俺の鼻先にチューリップの香りがやわりとくゆる。

……受け取ってくれる?」

授けられた言葉にもう頭なんて回りっこない。
あぁもう、首筋までまっかっか。こんな時くらい格好つければいいのに、こういう時ほど守ってあげるような顔をして。きゅっと寄せられた眉根に頬がむずつく。隠しきれなかった口の端がもぞ、と笑みを描く。
……意味、分かって言ってます?」
「わぁ、きれいな花やなぁって?」
「ちゃんと意味は分かってやってるんですかって言ってるんです」
……分からずこんなところでこんなもの渡してると思う?」
照れ隠しなのかわざと挑発するような視線を送ってくる恋人に、はああと気付いたら顔を覆っていた。そんなに顔を真っ赤にして馬っ鹿みたい。馬鹿みたいでかわいくて小憎たらしくて、そんなところまでまるごと全部愛おしくて嫌になる。
……場所分かってます?」
「分かってるからやっとんのやけど」
「みんな見てますよ」
「だからええやん」
逃げも隠れもせえへんわ。開き直ったのかうっとりと小首を傾げる元狐に歯を食いしばる。この野郎
こっそり指の間から顔を覗かせれば、早速わくわくと小躍りする木兎さんと目があった。続いて三徹明けのサラリーマンみたいな顔をした佐久早さんとも。ばちっと噛み合った瞬間からはよ終わらせろとばかりに手を払われて、ふふっと気分が明るくなる。
嗚呼、これだから本当に。
観念して顔を上げればあの日のネット越しのようにまっすぐ見つめる彼がいた。不思議と音の消えた世界の中で稲穂色だけが安穏とたなびく。“どっちかわからない人”から唯一無二になった人。誰よりも打ちやすいトスを上げてくれる人。
指先のかわりに目いっぱいの花を差し出した侑さんがそうっと柔和に目尻を溶かす。

「受け取ってくれる?」

再度問うてくる声はあの日と違ってまあるくて。 真っ赤な首筋、背負うスカイブルー。

「馬鹿なんですか」

気付けば花束ごと抱きついていた。

 


花が降る
 written by @tjntzkd ちかさま

あとがきと感想
 白いチューリップの花言葉は純粋。降ってきたまっしろな幸運は、宮侑の心をそのままを表したようだ。トスされたブーケが女性の指に一度触れたのに軌道を変更して侑の元に届く。なんてドラマチックなのでしょう。そんなドラマチックな出来事さえも侑と翔陽の2人にとっては数あるうちの一つなのかと思うくらい、彼らには様々な出来事が起こるように思います。__「……受け取ってくれる?」「馬鹿なんですか」ちかさんの言葉の選び方が好きです。この二つの言葉を切り取るとそこに愛の言葉はありません。ですが首まで赤く染まるほどの侑の肌が物語るように、その一言だけでも彼らしい愛の言葉であると思います。「俺はいつかアンタにトスを上げるで」私にはこの言葉もやはり愛の言葉に聞こえてしょうがないのです。____空のスカイブルーとブーケのホワイトが生み出す優しいコントラスト、首筋を染める差し色の赤が美しい作品でした。2023年の最後にちかさんの侑日が読む事ができてとても嬉しかったです。

ちかさま素敵な作品をありがとうございました。
illustrations  by 添

7
July

 

 「冷やし中華食べると夏って感じしますよね!」
 日向選手が無邪気にそう言うのが聞こえてくるが、向かいに腰かけている宮選手は日向選手の口元についたつゆが気になるようだった。
「せやなあ」顔をやや近づけてそう言いつつ、きれいに爪が整えられた大きな手が日向選手の頬に伸ばされた。「ほら、翔陽くん。ほっぺついとるで」
 頬についたつゆを指先で拭うと、日向選手はくすぐったそうに笑って「あざっす!」と太陽のような笑顔を見せてくれる。
 私の位置からでは二人の横顔しか見えないが、正面から日向選手の笑顔を向けられた宮選手が眩しそうに、やや目を眇めるのがはっきり分かる。
 そしてそんな二人の様子を覗き見る、一介のMSBY新入社員である私は、先ほどから二人の距離の近さにドキドキしっぱなしだ。
「そんなにジロジロ見ないの」
 目の前に腰かける上司の女性にたしなめられるが、どうしてもチラチラ見てしまうのは仕方ない。
「だ、だって……日向選手と宮選手、あんなに距離が近くて……」
「二人ともいつもあんな感じだから」上司は肩をすくめた。「あなたもそのうち慣れるわ」
 そうなんだろうか。……いや、そんな風には思えない。MSBYブラックジャッカルの試合を見てからMSBYに入社したいと思って、念願叶って入社したはいいものの、推しである宮選手と日向選手が普段からこんなに距離が近くて──試合中でももちろん距離が近くて肩を組んだりハグをしたりして『付き合ってるんじゃないか?』ってさんざんネットで言われているけれど──、しかも社内の人たちはそれを当然みたいに思っていて……
 ──それってもう、公認の仲ってことなんじゃないの!?
 もう一度二人の方に視線を走らせれば、今度は宮選手が日向選手の口元に飾り切りされた卵を持って行っているところだった。当たり前のようにアーンしてそれを口にする日向選手。
 こんなの、なんて……、なんて……

 なんて最高な職場なんだろう……!


社員食堂の日常

 written by @michiri_ms19527 ミチルさま

あとがきと感想
 冷やし中華を食べると夏を感じる。夏が近づいてくると冷やし中華を食べたくなる。どっちも正解。冷やし中華と初夏の組み合わせって最高です。そこに推しCPが合わさるともっともっと最高最強です。・・・と私と同じように感じてる新入社員さんがこちら↑です。こんなイチャイチャ社員食堂でされたら毎日仕事が捗りそうですね。お昼休憩前楽しみでしょうがないですね。今日は何を食べるんだろう。今日もあーんってするだろうか・・・いやあーんって!・・まぁ・・君たち公認だからいいか。いいね。ずっと末長くお幸せに。____ミチルさんの翔陽くんは私の中ではまだ少年感が原作よりも残っててより猫ちゃんみたいで可愛いなぁと思います。

ミチルさま素敵な作品をありがとうございました。
illustrations  by 添

8
August

9
September

10
October

11
November

12
December